2004年08月11日
仙臺すずめ踊り
市民祭連(まづら) [朱雀SUZAKU] のみなさん
二十年ほど前、最初の想定では行列がメインの青葉まつりに祇園祭風山車を参加させれば祭りが盛り上がる想定だったのでしょう。静的な仙台七夕がもうひとつ抜けられない壁をみんなで意識していた事は間違いないように思います。
博多山笠、諏訪御柱、阿波をどり、三社祭・・・。全国的に有名な市民参加型まつりが本来の「おまつり」として機能している事への憧憬。
当初、青葉まつりの添え物的な意味合いの強かった「すずめ踊り」がむしろ主役になり始めている事はもはや疑う余地もありません。市内の小中学校の体育館などを使って一年中練習に汗を流しているグループを幾つも見かけるこの頃です。青葉城跡には石垣しか残っていないのですが、その石垣を築造した石工に伝わって来たすずめ踊りが仙台を代表する庶民のパフォーマンスとして益々盛んになって行く事でしょう。やはり歴史と伝統に裏づけされた文化は根強いですね。
私が最初に「朱雀」と出会ったのは平成9年でした、色とりどりの伝統衣装の中でひときわ目立つ純白に朱色の文様のいでたちに目を惹かれた事を今でも鮮明に記憶しています。この頃、飛び火し始めている竹の子族まがいの長い法被で騒ぎまくるのとは訳が違います。「粋だねぇー」っていう感情でしょうか。やはり祭りは庶民が主役でなくちゃと改めて思うと同時に、ますます盛んになり全国的にも有名になっていって欲しいですね。
投稿者 RyuSUMIYA : 12:03 | コメント (0) | トラックバック
2004年08月07日
すずめ踊り
■ それは初夏を感じさせる5月のある日、修理に出したカメラを受け取りに一番町まで出掛けた時、赤いはちまきに、腹掛け、足袋すがた、江戸時代から伝わる伝統の装束を身に着けた少女たちの一群と出会いました。そして、その少女たちの屈託の無い表情の中に、私がとっくに忘れ掛けていた「目くらめく」感情が、突然としてよみがえって来たのでした。
手にした扇子をかざしながら、新緑を背景にした、一番町モールの中を所狭しとばかりに踊る姿が観衆を圧倒する「すずめ踊り」でした。そうだ、絶えて久しい「すずめ踊り」が蘇ってから十数年、ここで踊っている子供たちが生まれた時には、新しい「青葉まつり」はもう存在していたのだったと、今更ながら思い知らされた瞬間でした。
少女たちの見事な「すずめ」振りを見ていると、この日のためにどれほど鍛錬してきたのかを想像するのに時間はかかりませんでした。カメラ狂いの私と、「すずめ踊り」の女の子。不思議にも、運命的な出会いであったかも知れません。
私は夢中でシャッターを切りつづけたのでした・・・。
投稿者 RyuSUMIYA : 11:52 | コメント (0) | トラックバック
青葉まつりへのプロローグ
■ 私たち日本人にとって、「お祭り」の意義とはいったい何であるのでしょうか?
普段慎ましげに話し、そして暮らし、道で見知らぬ人と行き会う時にも会釈しながら通り過ぎるような、独特の風習を持っていた私たちの父や母の時代にも、祭りの日ともなれば「弾けた」ように近所の人たち総出で伝統の料理を作りあったものだったし、その「うきうきした」雰囲気は、我々子供たちにとっても又、特別なもので有りつづけました。しかし、公共の意識よりも個人の権利が優先されるような時代背景や、テレビの普及などと共に、「お祭り」自体の感覚も、単なるイベントのひとつに過ぎないように思われるようになってしまってから久しいように思います。